【レポ】小名浜の様子。
2011年 08月 17日
【帰省中のレポ】私が感じたことですので、興味のない方は
スルーして下さい。コメント欄は、とりあえず開けますが
リコメは、殆ど出来ませんのでご理解いただけたら嬉しいです。
小名浜でにぎわっていた鮮魚市場【ららミュウ】
近くの信号機は折れ曲がり、道路も地盤沈下がひどく波打っていた。
道路際の看板は、見事に折れたままだった。。。
ずっと海の方まで歩いていくと、堤防と海がツラ一面になっていた。
これが満潮になると堤防すら見えなくなってしまうそうだ。

海の近くの保育園での話。津波警報が出て
すぐに園児達を親元へ返そうとバスを出し走った。。。
ところが、バスごと津波にのまれてしまったらしい。
ご冥福をお祈り申し上げます…としか言葉に出来ない。
私の親戚も子供を迎えに行こうと車で保育園に向かった
ところ波にのまれてしまったらしい。一体何が起こったのか
まったくわからなかったという。車ごと波で工場の2階部分に
突っ込み、どうにか脱出できて命は助かった。子供さんは
怪我もすることなく無事だったけれど、そのママは
靱帯損傷で、もう一生治ることがないらしい。
でも生きているから…と笑顔で話していたのが忘れられない。
ある施設で津波が来るからと逃げた人達が波にのまれ
逃げずに建物に居た人達が助かったとも聞いた。
こればかりは、誰も予測が出来ないこと。

いわきの津波は、第一波よりもニ波の方が大きかったようで
わずかの時間差で一波が去ってから船や港を確認した人達が
のまれてしまったよう。。。本当に悲惨な出来事。
これからは、震災でお亡くなりになられた方々の分も
自分達が生きて復興に努めなければならない。
いろいろな意見があるけれど…見つけた動画
今回はピンクのリンク先とほぼ同じ経路で見てきました。
この震災を忘れないために。。。
こうした爪痕を目の当たりにすると・・・
義援金や復興の援助、国が早く対処してくれないとと思うばかりです。
私たち個人で出来る限りの事は出来ますけど・・・
自宅待機の時期、または営業再開しても、仕事が出来なかったから、上司に主任とボランティアを申し出ました。しかし、自分たちの食事の確保や移動手段も確保しなくてはならないため、行くことはできませんでしたね。
道路はボコボコ、電線は曲がる、テレビでは、変わり果てた街並みばかり。
無念にして命を落とされた方々の分まで、生きることを決意した、今までのマイナス思考で自分に自信がなかった己と決別するためにも、生き残った使命を果たそうと決めました。