【記録】結局。。。2・3号機も
2011年 05月 24日
【記録】
東電は今日、1~3号機の地震発生前後の原子炉の状態について
解析結果を公表。圧力容器内で水位が維持されていない場合、
2号機は地震から約101時間後の3月15日午後8時ごろ、
3号機では約60時間後の3月14日午前3時ごろに、溶けた核燃料の
大部分が圧力容器底部に落下するメルトダウン(炉心溶融)の状態に。
解析結果は今日までに経済産業省原子力安全・保安院に提出。
保安院は「炉心状態の評価は時間を要する」として結論を出さなかった。
東電は原子炉の記録計や警報発生記録、運転日誌などから
地震前後の状態を解析。2・3号機では津波到達後も非常用の
冷却系による注水が一定時間継続。電源回復後に水位計が
一定の水位維持を示したが、1号機の水位計表示が不正確で
予想外に水位が低かったため、水位計通りの水位があった場合と
水位が低下していた場合の2通りを想定。東電の松本純一
原子力・立地本部長代理は「現実の状態は、この二つの仮定の間に
あると考えられる」と述べた。2号機では、いずれの場合も水位低下後、
炉心温度が上昇し、3月14日午後8時ごろから炉心損傷が始まった。
水位計通りの場合は半分程度の燃料が溶けて落下。
水位低下の場合は、地震の約101時間後に大部分の燃料が
圧力容器底部に落下した結果。3号機は地震後に高圧注水系が
起動したが、注水は13日午前2時42分ごろ止まり、水位が低下。
同午前9時ごろから燃料損傷が始まった。水位が維持された場合は
一部の燃料は損傷せず、大部分は炉心にとどまっていた。
水位が低下していた場合は地震の約60時間後、ほぼ全ての
燃料が圧力容器底部に溶け落ちたとみられる。
東電は19日、福島第1原発2号機の原子炉建屋に18日入った
作業員のうち1人が、熱中症になったと発表。作業後に体調不良を
訴え、医務室で点滴を受けて回復。東電は「(2号機の)建屋内の温度と
湿度が高く、人による入域は15分以上は困難」としており
有人作業の難しさが改めて示された。
東電によると、作業員は18日午後4時30分から約10分間、
建屋に入った。特殊繊維でできた防護服を着用し、空気ボンベも使用。
被ばく線量はそれぞれ2.85ミリシーベルト、2.08ミリシーベルト。
建屋内の放射線量は、窒素注入用の配管を接続する予定のバルブ
付近で毎時50ミリシーベルトだったが、作業場となるハッチ上部は
同160~170ミリシーベルトに達していた。
埼玉県加須市に役場機能ごと集団避難している福島県双葉町。
一部町民の一時帰宅を26~27日に行うことになり、住民からは
歓迎の声が上がる一方、原発から半径3キロ圏内に自宅があるために
一時帰宅できない住民からは落胆の声が。。。
井戸川克隆町長は「多くの住民が急いで避難してきており、
早く一時帰宅を実現したかったのでうれしい。大事なものを持ち出すなどし
古里や我が家を見て気持ちの整理をしてほしい」と話す。
3キロ圏内の住民の方は、いつになったら自宅に帰れるのだろう?
それとも。。。このまま??? いわきのニトリが家具を買う人で
溢れていると聞いた。。。避難している人達なのだろうか。
いわきの不動産関係も、それでかなり潤っていると聞くが…
これからどう変わっていくのだろう。。。まだまだ津波の瓦礫の
撤去作業も完全に終わっていないだろうに。応援することしかできない。
頑張ってほしい。けれど頑張りすぎないでほしい。。。